Textile Story

海の道|2026年8月

2026.08.01

 1512年から1515年頃 、マレー半島に位置するマラッカを訪れたポルトガル人トメ・ピレスは、著書『東方諸国記』(※1)で、同地を訪れる「レケオ(琉球人)」について記している。

 レケオは琉球国王の使者であり、絹の衣を身に着け、礼儀正しく、誇り高い人たちで、さまざまな品々、なかでも布を数多く買い求めて帰国したという。

 当時のマラッカは、インド、中国、東南アジア、西アジアの物品が集まる国際貿易港であった。琉球の人々は、この地でどのような布を選び、持ち帰ったのだろうか。その布は、王族や士族の装いとなったのか。あるいは後に、沖縄の染織文化を支える一部となったのだろうか。

 アジアを旅していると、沖縄との不思議な共通点にたびたび出会う。インドネシアやマレーシアでは、「混ぜ合わせる」という意味の言葉を「チャンプル(champur)」という。沖縄でさまざまな食材を炒め合わせる料理「チャンプルー」という名称にも、その響きを重ねずにはいられない。

 タイ北部のリス族の村では、心地よい琉球やスンダ音階(※2)が聞こえてきたので、音色に導かれて歩いていくと、蛇皮を張った三線で奏でる男性に出会った。興味深く見つめていると、男性は「持って行け」という仕草で三線を差し出してくれた。

※画像をクリックすると詳細が表示されます

 ミャンマーのカチン族の織物には、沖縄の花織を思わせる技法や色彩が見られる。タイ北部のカレン族の村では、八重山地方のミンサー織に見られる「いつ(五)の世(四)までも」という永遠の愛を表す紋織にも通じるような文様を織り出した布にも出会った。

 もちろん、経糸と緯糸が織りなす文様には、文化や技術の伝播だけではなく、それぞれの土地で自然に生まれたものもあるだろう。しかし、海を渡る人々とともに、布や技法、言葉や文化が行き交っていたこともまた確かである。

 紅型(びんがた)の鮮やかで豊かな色彩と文様の背景には、沖縄だけでは語り尽くせない、広大なアジアの海の記憶が息づいているように思えてならない。

 20年くらい前、筆者がインドネシアでバティックの制作を依頼している職人は、どこで知ったのか紅型を研究し、バティックの手描き技法で紅型風作品を制作していた。それは単なる模倣ではなく、遠く離れた島の染色文化への憧れが形となったように感じられた。

 ※画像をクリックすると詳細が表示されます

 沖縄に目を向けると、紅型作家の金城宏次氏(沖縄市)が制作に携わった紅型による現代アート作品「結、You-I」が海を渡り、ロンドンの大英博物館に収蔵さている。2024年冬には、同館の季刊誌の表紙を飾った。

 海の交易が盛んだった時代だけではない。現代もなお、人は海の向こうにある美しいものに惹かれ、新たな文化を受け入れ、新しい表現を生み出していく。

その営みは、何世紀もの時を超えて続いているのである。

文・古賀るみこ(RMKK管理人)

(※1)参考文献 トメ・ピレス『東方諸国記』大航海時代叢書Ⅴ、岩波書店、1966年初刊。
(※2)スンダ音階とは、インドネシア・西ジャワ地方に伝わる音階で、「ド・ミ・ファ・ソ・シ」のような五音の響きを持つ伝統的な音階がある。

2026年9月予定
包む布
The Culture of Wrapping

archive